広島の62回目の原爆忌でした。
朝ドラを見ようと思ったら、ちょうど黙祷の時間。
そんな意識もなかったのが、恥ずかしい。
あわてて祈りました。

広島には縁もゆかりもないけれど、原爆記念館は、何度か行っています。
小学生のとき家族と、小学校の修学旅行で、オットとの旅行で・・・

小学生のとき見たときは、衝撃的でくらくらしました。
でもあまり覚えていない。

オットとの旅行では、岡山に泊まっていて、広島まで足を伸ばしました。
びびりのオットは怖くて記念館には入りたがらなかったのだけれど、
「日本人なら見ておけ」
と無理やり連れて入りました。
結局、オットはほとんどうつむいていましたが。

ただ普通に生きていた人が、一瞬で地獄の苦しみを味合わされる。
核兵器がどれほどひどいものなのか、ちゃんと見ておかなきゃいけない。

なのに、地球上に核兵器があふれ、原子力発電所が立ち並ぶ。
当事者でないとわが事としてとらえられない。
だんだん風化してしまう。

世界中で唯一の原爆被爆国の日本なのに、ほとんどの人は(私も含めて)、そんなこと忘れて毎日過ごしている。

小学生代表のふたりが
「平和な世界をつくるためには、『憎しみ』や『悲しみ』の連鎖を断ち切る強さと優しさが必要です」
と「平和への誓い」を読み上げたけれど、日常の些細な憎しみ、悲しみでも、なかなか吹っ切れない私は、もし肉親を何かに誰かに殺されたら、仕返しせずにいられるだろうか。
自分を傷つけられたら、やり返さずにいられるだろうか。

死者をうらやむほどの地獄を味わった生存者の方々、自分の大切な人を一瞬で亡くした人たち、苦しみながら亡くした人たちは、どれほど持っていきようのない恨みや憎しみや悲しみを抱えているのだろう。

それでも、あえて連鎖を断ち切れと読み上げられた。

世界中の人々が自分のところで、憎しみや悲しみを終わらせることができれば、世界は本当に平和になるだろうに。
せめて私は、そうなれるように努力しよう。
子どもたちにもそう教えよう。
難しいことだけれど、まずやってみよう。