今日、シフォンのしつけ教室でした。
毎月、会報のようなものをいただくのですが、それに添えられていたプリントから引用しました。
イギリスのあるコラムからだそうですが、目にしたことのある方も、いらっしゃるようです。
(私が手にしたプリントには、タイトルはついていませんでした。)

 私がまだ子犬だった頃、私はあなたが喜ぶような仕草をして、あなたを笑わせました。あなたは私のことを「うちの子」と呼び、私がどれだけ多くの靴やクッションを破壊しようとも、私はあなたの最良の友となりました。

 私が「悪さ」をすると、あなたは私を指差し、その指を振りながら、「どうして?」と問いました。
 しかしすぐに、あなたは微笑み、私を転がして、おなかを撫でてくれました。

 あなたがとても忙しかったので、私の破壊癖は思ったより長く続きましたが、それはお互い時間をかけて解決しましたね。

 あなたに寄り添い、あなたの信念や誰にも秘密にしている将来の夢に聞き入った夜のことを私は今でも覚えています。あのとき、私はこれ以上幸せな生活はないと、固く信じていました。

 私たちは、たくさん散歩をし、公園で走り、ドライブし、途中でソフトクリームを食べました。(あなたは「アイスクリームは犬の体に悪いから」と言って、私にはコーンしかくれませんでしたが・・・)

 私はいつも陽だまりでうたた寝をしながら、あなたが一日の仕事を終えて、家に帰ってくるのを待ちました。

 次第に、あなたは仕事や出世のために費やす時間が長くなり、やがて、人間のパートナーを探すようになりました。

 私は辛抱強く待ちました。あなたが傷ついた時や落ち込んだ時には、あなたを慰め、あなたの決断が間違っていても、決して非難せず、あなたが家に帰ってくると、大はしゃぎして喜びました。

 あなたが恋に落ちたときも、いっしょになって歓喜しました。彼女――今はあなたの奥さんですが――は「犬好き」な人ではありませんでしたが、それでも私は彼女を受け入れ、愛情を示し、彼女の言うことを聞きました。
    あなたが幸せだったから、私も幸せだったのです・・・

 やがて、人間の赤ちゃんが生まれてきて私も一緒にその興奮を味わいました。赤ちゃんたちのそのピンク色の肌に、またその香りに私は魅了されました。
 私も赤ちゃんたちをかわいがりたかったのです。

 しかし、あなたたちは、私が赤ちゃんを傷つけるのではないかと心配し、私は一日の大半を他の部屋やケージに閉じ込められて過ごしました。私がどれほど赤ちゃんたちを愛したいと思ったことか。
 でも私は「愛の囚人」でした。

 しかし、赤ちゃんたちが成長するにつれて、私は彼らの友だちになりました。彼らは私の毛にしがみついて、よちよち足でつかまり立ちをしたり、私の目を指でつついたり、耳をめくって中を覗いたり、私の鼻にキスをしました。

 私は彼らの全てを愛し、彼らが私を撫でるたびに喜びました。何故なら、あなたはもう、めったに私を触らなかったから・・・

 必要があれば私は命を投げ出しても、子どもたちを守ったでしょう。

 私は、彼らのベッドにもぐりこみ、彼らの悩み事や、誰にも秘密にしている将来の夢に聞き入りました。そして、一緒にあなたを乗せて帰ってくる車の音を待ちました。

 以前あなたは誰かに犬を飼っているかと聞かれると、私の写真を財布から取り出し、私の話を聞かせていたこともありました。
 ここ数年、あなたは「ええ」とだけ答え、すぐに話題を変えました。

 私は「あなたの犬」から「ただの犬」になり、あなたは私にかかる全ての出費を惜しむようになりました。

 そして、あなたは別の街で新しい仕事を見つけ、みんなでペット不可のマンションに引越しをすることになりました。
 あなたは「自分の家族」のために正しい決断をしましたが、かつて、私があなたのたった一人の家族だった時もあったのです。

 私は久々のドライブで、とても嬉しかった・・・保健所に着くまでは。

 そこには犬や猫たちの、恐怖と絶望の臭いが漂っていました。

 あなたは書類に記入を済ませて、係員に「この子によい里親を探してくれるよね」と言いました。
 保健所の人は方をすくめて、眉をひそめました。彼らは知っていたのです、歳を取った成犬たちが――たとえ「血統書」つきでも――直面する現実を・・・

 あなたは、「パパやめて、ボクの犬を連れて行かせないで!」と叫ぶ息子の指を一本一本、私の首輪から引き離さなければなりませんでした。

 私はあなたの子どものことを心配しました。何故なら、あなたはたった今このことを通して、友情、誠実さ、愛、責任、そしてすべての生命への尊重の意味を、彼に教えたのです。

 あなたは私の頭を軽くたたき「さよなら」と言いました。

 あなたは、私から目をそらし、首輪とリードを持ち帰ることさえ、丁重に断りました。

 あなたにとっても守るべき期日があったように、今度は私にも期日がやってきました。あなたが去った後、やさしい女性係員が2人やってきて言いました。
「何ヶ月も前からこの引越しのことを知っていたはずなのに、里親を探す努力もしなかったのね・・・」と。彼女たちを首を振りながら、つぶやきました。「どうして・・・?」

 保健所の人たちは忙しさの合間に、とても親切にしてくれました。もちろんゴハンもくれました。でも、私の食欲はもう何日も前からなくなっていました。

 最初は誰かが私のケージの前を通るたびに、走り寄りました。あなたが考えを変えて、私を迎えに来てくれたのだと願いました。今回のことが全部、悪夢であってほしいと願いました。そうでなければ、せめて私を気に留め、ここから助け出してくれる誰かが来てくれればと・・・

 しかし、幼い子犬たちの、愛情を求める可愛らしい仕草には敵わないと悟った、年老いた私は、子犬たちの明るい運命を脇目に、ケージの隅に引っ込みひたすら待ちました。

 ある日の夜、係員の女性の足音が近づいてきました。私は彼女の後に続いて、通路をとぼとぼと歩き、別の部屋に行きました。

 しんと静まり返った部屋でした。彼女は私を台の上に乗せ、私の耳を撫で「心配しないで」と言いました。私の心臓が、今まさに起きようとしている事実を予期し、ドキドキと鼓動しました。

 しかし、同時に安心感のようなものも感じました。かつての愛の囚人には、もう時は残っていませんでした。生まれついての性格からか、私は自分のことより、係員の彼女のことを心配しました。
 彼女が今果たそうとしている責務が、彼女に耐え難い重荷となってのしかかっていることを、私は知っていたからです・・・かつて私が、あなたの気持ちをすべて感じ取ったように――。

 彼女は頬に涙を流しながら、私の前肢に止血帯を巻きました。私は、何年も前に私があなたを慰めたときと同じように、彼女の手を舐めました。
 彼女は、私の静脈に注射の針を挿入しました。私は、針の痛みと、体に流れ入る冷たい液体を感じ、横たわりました。

 私は眠気に襲われながら彼女の目を見つめ、「どうして・・・?」と呟きました。おそらく彼女は私の犬の言葉がわかったのでしょう。「本当にごめんなさい・・・」と言いました。

 彼女は私を腕に抱きました。そして、「あなたはもっといい場所へ行くのよ。」「ないがしろにされたり、虐待されたり、捨てられたり、自力で生きていかなければならないようなところではなく、愛と光に満ちた、この世界とは全く違う場所に、あなたが行くのを見届けるのが、私の仕事なの・・・。」と急ぐように説明しました。

 私は最後の力を振り絞り、尻尾を一振りすることで、彼女に伝えようとしました。さっきの「どうして・・・?」は彼女に対する言葉ではなく、あなた、私の最愛なる主人である、あなたへの言葉だったのだと・・・。

 私はいつもあなたのことを想っていました。これからもあなたのことを想うでしょう・・・
 そして私は永遠にあなたを待ち続けます。あなたの人生に関わる人すべてが、これからもずっと私と同じくらい誠実ありますように・・・


先生の会報から。

散歩にさえ行ってもらえない犬たち。
庭でくくられたままの犬たち。
飼い主さんの都合で、簡単に放棄される犬たち。
人間の楽しみのためにのみ作られたイベント会場で犠牲になった犬たち。

無責任なペットショップ。
無責任なブリーダーと称する人。
インターネット上、オークションでの生体のショッピング・・・・・・・・・・

犬を飼うことで、十数年、その子のためにいろいろなことを犠牲にする覚悟があるのか?その子のために惜しみなくお金を使えるか?その子のために時間を持つことができるか?その子のために、室内に場所を与えることができるか?

今、あなたのそばにいる愛犬を幸せにするだけで、世界中の犬たちが幸せになるはずなのです。



今日のレッスンはありませんでした。
フィールドではなく、自宅へ来るよう連絡がありました。
行ってみると・・・
部屋中にお花があふれていました。
たくさん、たくさんの花が飾られていました。

先生の愛犬、ゴールデンの女の子が、7日に12歳で亡くなったのです。
ほとんどの人は事前には知らされておらず、レッスンごとに、順に先生からお話されたそうです。

数年前に首に腫瘍ができたのを手術して以来、とても元気になっていたのですが、それでも徐々に体力が落ちているのを感じていて、2ヶ月前にはもうそろそろ覚悟したほうがいいというのをDr.から聞かされていたそうです。
(肺とすい臓にがんができていました)

それでも、今月4日には、フィールドでアジリティも楽しみ、帰宅してからもボール隠しで遊び、その翌朝から食べられなくなったそうです。
ちょうど連休で、先生のお嬢さんたちやお孫さんも帰省され、ご主人もお休みという、みんなに見守られながら、7日の夜、お星様になりました。

弱っていたのはみんな知っていましたから、もしその仔になにかあったら、一体先生はどうなってしまうんだろう、と日ごろから心配していた人が多かったのです。
レッスンという関係だけではなく、ずっと旧知の仲というような関係の人が多いのです。

でも、先生は、思ったよりちゃんとしてます、と言われていました。
よく、愛犬を亡くした後で、「ああしておけばよかった」「こうしておけばよかった」と悔やまれる人が多い中、先生はできることはすべてやったという満足感があるそうです。
信頼できる犬のガンの権威のDr.にも診てもらい、近所の親しくしているDr.にも診てもらい、治療に納得し、遊んであげたり、一緒に添い寝したり、できる限りのことをしたそうです。

今までこの仔がしてくれたことに、少しでも返せたらと。

もっと時間がたったほうが、あるいは寂しさが募るのかもしれませんが、今の先生は、何とかペットロスにならない状態だそうです。
だから、みなさん、明日やってやろうではなくて、今できることを今してあげてね、と。

上に書いたイギリスのコラムや会報は、先生は年末にプリントアウトしていたもので、その仔が亡くなる前でした。
でも、世界中の犬が幸せでいてほしいというのが、先生の願いなのです。

私もそれを祈りながら、心して、シフォンと子どもたちと暮らして生きたいと思います。