ちと古いが、日曜日にテレビでジミー大西が出ていました。
いつ見ても波瀾万丈だっけ。
母として、子どもに携わる仕事をしている身として、いろいろ考えさせられました。

飛び飛びで見ていて、内容が正確ではないのだけれど・・・

まず衝撃的だったのは、ジミーちゃん、3年生までひと言もしゃべらなかったということ。

ひと言も・・・

これって、もし私、自分の子どもなら、大騒ぎしてる。
病院をあちこちはしごして
「この子どこが(どこかではなく)悪いんでしょうか?」
って聞いて回っているかも。

ジミーちゃんのお母さんがどれくらい心配されていたのか、どのように対応されていたのかについては、触れられていなかったけれど、少なくとも、3年生のジミーちゃんが、話すことを迫られていたり、話さなければと、プレッシャーを与えられていたわけではないようだ。

これって、すごいと思う。
あるがままのわが子を受け入れて、待つことのできる母って、すごい。
子どもを追い詰めない母ってすごい。

初めてジミーちゃんが口にしたことばが、なんと
「好き」
だという。
なんて、すてきなんだろう。

ジミーちゃんは一人で遊ぶのが好きで、しゃべれないせいもあって、級友もジミーちゃんを仲間に入れようとはしていなかったのだけれど、一人だけ女の子がいつもジミーちゃんに声をかけてくれて、友だちの輪に入れてくれたそうだ。

花いちもんめしても、一人ずつ「あの子がほしい」ともらわれていくのに、ジミーちゃんだけ最後に残る。
そんなときも、その女の子が「大西君がほしい」と言ってくれたそうだ。

そんなこんなでいつもジミーちゃんにやさしくしてくれる女の子に、ある日突然
「好き」
ということばが自然に出てきたそうだ。

本当に好きだったんだろう。
それからジミーちゃんはいつもその女の子のそばについて回っていたそうだ。

そして夏休みに入り、会わないまま2学期が来て・・・
その女の子は、夏休みの間に病気で亡くなっていたのです。
ジミーちゃんは、亡くなるという意味がわからず、漠然と、いつ来るのかな、とおもっていたらしい。

その子の机の上に、先生が花を生けていたのだけれど、ジミーちゃんは、毎朝早くに学校へ行き、その花の花瓶の水を替えて、また家に帰り、普通の登校時間にみんなと一緒に登校していたそうだ。

恥ずかしかったのもあるのだろうけれど、なんてやさしいんだろう。
3年生の子が、そんな気持ちを持って、それを行動に移すって、なかなかできるものではない。

2学期の間、花を飾り続けていたのだけれど、先生がジミーちゃんに
「もう大丈夫?」
と訊ねて、3学期からは花がなくなり、席替えがありました。
そのとき、くじ引きで偶然、その女の子の席になったジミーちゃん。
机の中を見ると、その女の子のハンカチが1枚、残っていたそうです。
そのハンカチを大事に持って帰り、枕元に置いて、その子を偲んでいたそうです。

5年生(だったかな?)の時、外で写生会があったそうです。煙突のある風景という課題で、みんなが煙突の絵を描いている中で、ジミーちゃんは煙突の横に、空に浮かべて、大きなピンクの像を描いたそうです。

周りの級友たちが
「先生、こいつおかしなもんかいてるで〜」
と騒いでいる中、先生は
「大西君は、好きなように描いたらいいのよ」
と言ってくれたそうです。

それからは、図工の時間はジミーちゃんだけヘッドホンを渡され、モーツアルトやショパンの曲を聴きながら、自分の世界に没頭して絵を描いたそうです。

子どもが型からはみだしたとき、それを個性と認めることができるだろうか。
その才能をさらに伸ばしてやることができるだろうか。

一番考えさせられた瞬間でした。

わが子にそれができるのだろうか。
子どもの能力に気づいてやれるのだろうか。
生徒たちに、それができるのだろうか。

・・・そう考えると、自分にはそんなのできない、と、とても弱気になってしまいました。まずは子どものありのままを受け入れられる親でいたいと、思います。
(でも、なかなかできないんだな)


ジミーちゃんがタレントをしていたころ、正直言って、私ジミーちゃんが好きではありませんでした。
どうしてこんな人がテレビに出て、騒いでいるのだろう。
この人のギャグの何が面白いのだろう。
こんなことやって、お金もらって、世の中おかしいって。

でも、今回のテレビを見て(今までもトーク番組に出ていたのかもしれないけれど初めて見ました)、見方が変わりました。
確かにフツーの人とはちょっと違うかもしれないけれど、感受性が鋭く、とてもやさしい人だというのがよくわかりました。

まだ話は続きます。
ジミーちゃんの純粋さ、周りで関わる人たちの大きさ。

書きなぐった文章ですみません。
続き、また明日書きます。